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Category:ロケット・宇宙機・人工衛星開発
衛星受信用AISシミュレータの開発とこれを活用した地上用受信装置の作成

本報告書は2011年3月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)に納入したAISシミュレータについて記載している。本工事はシミュレータの製作とJAXAが利用するための操作説明書、及びシミュレータ性能試験結果が納入品の全てであったため、設計において実施した設計解析等MSSのノウハウとなりえる成果を報告書として整理できていない状況にあった。このため将来の類似業務での活用等を考え、ここに全ての成果をまとめた報告書という形式で整理を試みた。また合わせて実際のAIS電波を受信しソフトウェアで復調することでシミュレーションの正確性も確認している。ソフトウェアでの復調・復号技術もMSSのノウハウと考える。
参考情報:
1 MSS技報・Vol.28*中部事業所 第一技術部 衛星受信用AISシミュレータの開発とこれを活用した地上用受信装置の作成 Development of AIS simulator for satellite reception and creation of terrestrial receiver using AIS simulator 島崎 真一* Shinichi Shimazaki 本報告書は2011年3月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)に納入したAISシミュレータについて記載している。本工事はシミュレータの製作とJAXAが利用するための操作説明書、及びシミュレータ性能試験結果が納入品の全てであったため、設計において実施した設計解析等MSSのノウハウとなりえる成果を報告書として整理できていない状況にあった。このため将来の類似業務での活用等を考え、ここに全ての成果をまとめた報告書という形式で整理を試みた。また合わせて実際のAIS電波を受信しソフトウェアで復調することでシミュレーションの正確性も確認している。ソフトウェアでの復調・復号技術もMSSのノウハウと考える。 This report describes the AIS simulator delivered to JAXA in March 2011. This work was theproduction of the simulator, the operation manual for the JAXA to use, and the report of thissimulator performance test were all the delivered items. For this reason, the results that could bethe know-how of MSS, such as design analysis conducted in the design, could not be arranged asa report. For this reason, considering utilization in similar future work in the future, I attempted toorganize it in the form of a report summarizing all the results. In addition, we also confirm theaccuracy of the simulation by receiving the actual AIS radio wave and to demodulate it withsoftware. We think MSS know-how also demodulation / decoding technology with software. 1.まえがき 本報告書は2011年3月にJAXA(The Japan AerospaceExploration Agency) 殿に納入した衛星搭載AIS(Automatic Identification System)送受信機の模擬を行うAISシミュレータの開発概要と、諸事情により経験できなかった実際の受信電波の復調、復号、及び新たに作成したメッセージ解読部を用いてAIS信号の地上受信を行った結果を報告するものです。JAXA殿への納入品はあくまでシミュレータでありますが、そのコンセプトを活用して実信号をSDR(Software Defined Radio)で復調、復号、メッセージ解読しています。そこにはAIS信号の規格を定めたITU(International TelecommunicationUnion)文書だけでは理解できなかった様々な見当違いやメッセージ解読のための工夫が必要でした。これらのSDRに関する工夫についてもできるだけ本文に記載するように努めました。2.AISシステム概要 AISは船舶の位置情報送受信システムとして特定の積載量の船舶にはその搭載が義務付けられています。船舶からのAIS信号は、その位置と共に船舶ID、名称、コールサイン、船舶形状・サイズ、キャラクターメッセージ等の付加情報が送られ、船舶の現在の位置、速度、方向等をリアルタイムで放送するものです。以下、簡単に信号インターフェースを示します。 なおフレーム構成を以下の図1に示します。<Start Buffer>信号の立ち上がりを保証するために付表1 AIS信号インターフェース規定(国際利用帯域のみ)多重方式周波数変調方式ビットレート送信出力符号化Frame CheckSOTDMA※ 161.975MHz(国際)162.025MHz(国際) GMSK 9600bps 12.5W(Class A)2.0W(Class B)NRZIBit Stuffing CRC_ITU16bit polynomial※SOTDMA(Self Organized Time Division Multiple Access):自律式時分割多元接続方式2 MSS技報・Vol.28リーム。<End Buffer>スタートバッファと同様、信号の立下りを保障するために付けられた時間幅であり24ビット分の待機時間が設けられている。Data部であるインフォメーションビットは可変長フレームであり、最初の6ビットがメッセージIDとなっておりメッセージIDは1から27まで定義されています。以下に代表的なメッセージであるPosition Reportの内容を示します。3.衛星搭載上の諸問題 AISは船舶自動識別装置として地上で運用されていますがこのシステムを衛星に搭載することで全球における船舶の航行情報を得ることができます。しかしながら元々船舶同士、又は船舶と地上管制局間での通信を目的としているため、このシステムを宇宙に持ち込む時には宇宙特有の問題が発生します。以下に主な問題について概説します。3.1 電力の減衰 AISシステムは自船と他船の距離が50~100km程度での運用を想定していますが宇宙での運用を考えると高度1000Kmの衛星では最大約4000km弱程度の送受信間距離を考慮しておく必要があります。この距離差は電波の伝搬損失を伴い、通常の海上運用より約30dB程度の受信電力劣化を見込んでおく必要があります。3.2 ドップラーシフト 船舶からの信号を地上で受信する場合に比較して大きな違いとなって受信信号に現れる伝送路特性にドップラーシフトがあります。船舶の速度は高速艇であっても時速100Kmには達しないのが現状で、一般的な船舶では時速50~70Km程度です。仮に時速100Kmと考えて衛星の場合と比較すると船舶同士では最大でも30Hz程度であったドップラーシフトが衛星では約4KHzまで大きくなります。AIS信号レートは9600bps即ち約10KHzですので地上で信号を受信する場合には例え時速100Km程度の速度で別の船舶に向けて近づく(または遠ざかる)場合でもドップラーシフトは非常に小さい値であり情報レートへの影響は無いに等しいのですが衛星で受信する場合には情報レートの半分程度の大きさのドップラけられた時間間隔であり8ビット分の情報送信前待機時間が設けられ、以降のビットの完全性を確保している。<Training Sequence>規則的に並んだ24ビットのビット系列であり、信号の同期や伝送路推定に利用する既知のビットストリームである。<Start Flag>以降の信号が情報ビットであることを表す8ビットのビットストリーム。<FCS>フレームチェックシーケンス。このシーケンス直前に設置されている情報ビットフレーム内にエラーが発生したかどうかを検出するための情報であり、送信側においてチェック用ビットとして計算、準備される。16ビットで構成される。<End Flag>情報の終了を示す8ビットのビットスト表2 AISの代表的なメッセージ(Message ID 1,2,3 Position Report)パラメータビット内容MessageID 6 Message種別確認用リピートフラグ2 0:デフォルト、3:リピートなしユーザID 30 移動船舶に対して固有に設定Navigation State 40:エンジンで航行中1:投錨中2:運転不自由船3:操縦性能制限船4:喫水制限船5:(岸壁に)係留中6:座礁している7:漁労中8:帆走中9~13:将来用リザーブ14:AIS-SART (SearchAndResqueTransmit)15:未定義(試験運用AIS-SART等)旋回率80~+126:右旋回708度/分以上0~-126:左旋回708度/分以上・+127:右旋回5度/30秒以上・-127:左旋回5度/30秒以上・-128:旋回情報存在せず運行速度10 1/10knotステップ表記位置精度1 1:高精度(<10m)0:疎精度(>10m)経度28 1/1000分単位(+が東経)緯度27 1/1000分単位(+が北緯)対地進路12 1/10度刻み(0~360度)船首方位9 0~359度タイムスタンプ6 レポート(AIS情報作成)時のUTC秒特殊操舵フラグ20:存在なし1:特殊操舵なし2:特殊操舵特殊操舵:海路航海順路に沿った操舵スペース3RAIMフラッグ1 受信モニタリングON/OFFCommunicationState 19合計168bit図1 AIS信号のフレーム構成3 MSS技報・Vol.28ーシフトが発生し、情報の同定を妨げることになります。3.3 他AIS信号の受信 AIS信号を衛星にて受信するということは地上で受信する場合より大幅にLOS(Line of Sight)が大きくなり、希望信号以外のAIS信号や他システムからの信号を受信することになります。これらの信号群は干渉波として働き、希望信号に混信を与えます。高度1000kmの衛星視野を以下に示しますがアフリカ西海岸からブラジル海岸線の大西洋上に存在する船舶のAIS信号が衛星に入力される可能性を持っていることが分かります。地上設備による受信では視線上の範囲がほぼ受信範囲となるのでせいぜい50~100Km程度の範囲からの船舶を考えれば良いことに比較すれば衛星搭載による受信の環境が希望信号に対して非常に厳しい環境であると言えます。なおAISのシステムでは上記の50~100Km程度のエリア内でSOTDMA(Self Organized Time Division MultipleAccess)と呼ばれる自己管理型時分割多元接続方式によってチャネル間を制御していますが、このエリア外では別のグループがSOTDMAによる制御下で通信を行っています。従って衛星による受信では別のエリアで運用されている船舶からの信号が全く同時刻に入感する可能性を持つということになります。4.開発したシミュレータの概要 図3にAISシミュレータの構成を示します。シミュレ図2 高度1000kmの衛星からの可視範囲(半径約3000km強の範囲から電波が入感する)図3 開発したAISシミュレータの構成4 MSS技報・Vol.28ータは3つの部分から構成されています。模擬信号生成部はAISの送信信号を模擬すると同時に受信機に印加される干渉波と雑音を模擬します。各信号は時間遅延と位相反転を与えたマルチパスと言われる自身と非常に相関の強い干渉波も合わせて模擬します。信号受信部はAIS受信機の模擬としてフロントエンドと呼ばれるRF信号受信部を模擬します。受信波形はこの段階でAD変換模擬部によってサンプリングと量子化が行われ規格化されたデジタル信号に変換されます。データ解析部はデジタル化された信号をデータ復調部によりベースバンドに落とし、データ検証部によって伝送路評価を行いビット判定され受信データとして出力されます。 このシミュレータではAISのフレーム内のデータ部は意味のないランダムなビットで構成しています。その理由はこのシミュレータがAISの情報に注目している訳ではなく受信機やデータ解析部の性能検討に特化しているため正しい入力のビット配列が既知であれば、受信され復調/復号されたビット配列と既知の入力ビット配列を比較することで受信性能を評価することができるためです。比較結果はビットエラーレートと言われるビットエラーの発生頻度で確認します。図3において模擬信号生成部からシミュレーションした送信信号をRF帯域のままファイルに落としています。これは別途設置された信号発生器への入力として活用するための機能です。同様にデータ解析部にAIS受信機によって受信された信号がファイル入力されています。これは実際の波形を入力してデータ検証を行えるような仕組みとして構成しています。AISの変調方式であるGMSKは基本的に3つの復調方法があります。それは同期検波方式、遅延検波方式、周波数検波方式になりますがこのシミュレータでは同期検波方式と遅延検波方式を設定することが可能なように設計しました。図4、図5に各検波方式のブロックと代表的なシミュレーション結果を示します。同期検波方式はVCOと呼ばれる受信信号と基準信号との位相差に基づく周波数変化を発生させる装置を用いて検波を行うものです。遅延検波方式は受信信号そのものを1ビットも図4 同期検波ブロックと位相ロック結果図5 遅延検波ブロックと信号復調結果5 MSS技報・Vol.28しくは2ビット分の時間だけ遅延させて合成することにより検波を行うものです。どちらにも一長一短があり利用シーンによって使い分けます。なお周波数検波はFM放送の検波として広く一般に使われているものになります。このシミュレータでの遅延検波は1ビット遅延と2ビット遅延の両方の信号を用いたドップラー推定を行っています。これはMSSオリジナルなロジックになっています。なおタイミング抽出やビット判定については次の章で示します。5.実際のAIS電波の受信 この業務では実際の受信電波の復調は行いませんでした。そこで地上での受信を行い、検波、復調、復号を行い、AISメッセージも解読し、作成したシミュレータの妥当性を確認することとしました。まずシステムの全体構成を示します。 このシステムはシミュレータにおける信号受信部に広帯域レシーバとサウンドデバイスを用いています。広帯図6 AIS信号受信システム図7 フィルタリングとベースバンド化のSDR処理6 MSS技報・Vol.28域レシーバで受信されたAIS電波はパソコンとインターフェースするため一旦162MHzの電波を10KHz程度の中間周波数に落とし、更にレシーバの機能でIQに分離し、サウンドデバイスを用いて16~24ビットで量子化しています。また9600bpsのAIS信号を処理するためにサウンドデバイスを用いて96kbpsでサンプリングをかけました。シミュレータのデータ解析部に当る部分は復調を遅延検波方式とし、タイミング抽出についてはトレーニングシーケンス用整合フィルター出力を利用することとしました。また10KHz程度の中間周波数帯波形からのベースバンド信号抽出と受信機内部雑音除去を目的としたフィルタリングもSDR処理としてパソコン内で実現しました。なおAISデータ部についてはシミュレータと異なり、意味ある情報として検出する必要があることからビットスタッフィング変換処理とFCS判定処理をメッセージ解読処理と合わせて新規に作成しました。 以下にフィルタリング前でベースバンド化した波形観測結果とシミュレータでの計算結果を示します。 この波形はトレーニングシーケンスとスタートフラグ、及びデータ列の最初の部分を示していますが、データ列以外で両者が一致していることからシミュレータが正しく動作していることが分かります。但しスタートバッファについてはCW波が入感することを想定していましたが実際は無信号区間になっていました。図11には浜松町貿易センタービル、名古屋駅ツインタワービル、及び名古屋港で受信したAIS信号を復調/復号し、位置情報を抽出後、Google Earthで表示可能なように加工した結果を示します。簡易的ではありますが船舶のリアルタイムな情報表示が可能になっています。 また図12には3場所で受信した波形を示しましたがこれらの波形には明らかな違いがあります。これは3つの受信環境の違いにあります。浜松町は海沿いではありますがビルが連接しているためビル間での複数の反射波が入感して波形を乱しています。また近傍にあってVHF帯を大出力で送信している東京タワーの影響も考えられます。名古屋駅ビルは海岸まで約10km程度離れておりビル間の反射波ではなく海上で反射した直接波のマルチパスが僅かな遅延時間と共に入感して波形を段状に乱しています。名古屋港は海沿いでしかも廻りに反射をするようなビルもない状況なので波形の乱れが最も少ないも図8 遅延検波とタイミング抽出のSDR処理7 MSS技報・Vol.286.むすび この業務は2011年3月11日が契約完了日でその日の午後に納品が行われました。同日つくばの三井ビル13Fにのになりました。なお余談ですが名古屋港での観測では寄港した海上自衛隊の南極観測船「しらせ」が台風の影響で予定より1日早く出航した航路を捉えました。図9 最適復号タイミング抽出処理とメッセージ解読処理8 MSS技報・Vol.28図10 実際の信号波形とシミュレーション結果(上:実測値、下:シミュレーション結果) 図11 AIS受信状況(上:浜松町受信、中央:名古屋駅受信、下:名古屋港受信)図12 AIS受信波形(上:浜松町受信、中央:名古屋駅受信、下:名古屋港受信)(左:スキャッターダイヤグラム、右:アイパターン)9 MSS技報・Vol.28図13 受信環境の違い(上:浜松町受信、中央:名古屋駅受信、下:名古屋港受信)(○印が受信機設置場所)在籍していた私は午後2時46分に大地震に遭遇、まだ納品が済まない業務のデータが入った方のパソコンがなぎ倒されないように手で押さえつつ自席机下に避難、その後フロアの部員の安全確認と13Fから地上への避難を行いました。納品は無事担当した営業によって行われましたが彼はその日帰宅困難者となり、つくばに宿泊せざるを得ませんでした。夕方からは雪が舞い始め帰宅してもガス水道電気が遮断され約1週間不便な状態が続きました。この出来事からもこの業務は私にとって忘れられない業務の1つとなりました。 さて、AISのmessage ID 9はStandard search andrescue aircraft position reportつまり救助を行う航空機の位置の発信に利用されるメッセージになっています。救助を行っている航空機やヘリは現場でmode_S/A/C等の信号を出力しないことが多く且つ低空を飛行するため、この航空機を外部から捕捉追尾するにはAISのシステムを利用するのが良い方法と考えられます。中部事業所は航空を生業にしていますからこういった情報を利用し、社会貢献できるような将来に期待しています。参考文献⑴ AIS信号シミュレーション・ソフトウェアの製作 取扱説明書 (0-41-001140-0002)⑵ R-REC-M.1371-5-201402-ITechnical characteristicsfor an automatic identification system using timedivision multiple access in the VHF maritimemobile frequency band⑶ フィルター出力信号に関するRF信号とベースバンド信号の関係(技術報告書TRG 070004)⑷ 衛星搭載GPSRのマルチパス解析手法(技術報告書図14 名古屋港寄港時の「しらせ」(受信機設置場所より撮影)10 MSS技報・Vol.28TRG 090003)⑸ DSP処理のノウハウ 西村 芳一(CQ出版社)執筆者紹介島崎 真一1981年三菱スペース・ソフトウエア株式会社入社。H1、H2、HOPE等の宇宙輸送機の航法誘導ソフトウェア開発、搭載ソフトウェア開発環境の開発、及び解析業務に従事。その後、COMETS、DRTSの中継出力の信号歪解析、JAXA衛星と他通信システムの共用に対するITUrecommend作成支援及びICO、情報収集衛星の衛星運用計画システム開発に従事。現在、中部事業所在籍。MRJ安全性解析、航空機搭載用ライダー情報の表示系開発に従事。