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Category:ロケット・宇宙機・人工衛星開発
H3 ロケットの誘導ソフトウェア開発~運用性向上の実現~

日本の大型基幹ロケットであるH3ロケットは現在運用中のH-IIAロケットの後継機として開発され、2021年度中の初号機打ち上げを目指している。H3ロケットは、打ち上げコストをH-IIAロケットから大幅に削減することを運用コンセプトとしている。三菱スペース・ソフトウエア株式会社(MSS)では、運用コンセプトの実現に向け、H3ロケットの搭載品である誘導ソフトウェア(GNS:Guidance and Navigation Software)と、運用時に使用する誘導定数自動設定ツール(GCAT:Guidance Constants Auto-configuration Tool)を開発した。本誌では、H3用に開発した誘導ソフトウェアの概要と、運用コンセプト実現のために開発した地上ソフトウェアについて紹介する。
参考情報:
1 MSS 技報・Vol.32 H3 ロケットの誘導ソフトウェア開発~運用性向上の実現~ Development of Guidance Software for H3 Launch Vehicle – Improved Operability – 服部 和恵*Kazue Hattori 日本の大型基幹ロケットであるH3ロケットは現在運用中のH–IIAロケットの後継機として開発され、2021 年度中の初号機打ち上げを目指している。H3 ロケットは、打ち上げコストをH–IIA ロケットから大幅に削減することを運用コンセプトとしている。三菱スペース・ソフトウエア株式会社(MSS)では、運用コンセプトの実現に向け、H3 ロケットの搭載品である誘導ソフトウェア(GNS:Guidanceand Navigation Software)と、運用時に使用する誘導定数自動設定ツール(GCAT:GuidanceConstants Auto–configuration Tool)を開発した。本誌では、H3 用に開発した誘導ソフトウェアの概要と、運用コンセプト実現のために開発した地上ソフトウェアについて紹介する。 H3 Launch Vehicle is now under development as a successor of H–IIA, and its maiden flight isscheduled to be in 2021 fiscal year. H3 operational concept, to cut down launch cost drasticallycompared with H–IIA, was set to be a development goal. Mitsubishi Space Software Co., Ltd.(MSS) has developed the onboard software “Guidance and Navigation Software (GNS)” andthe ground operational software “Guidance Constants Auto–configuration Tool( GCAT)” for H3under the contract with Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA) in order to achieve thegoal. GNS and GCAT are introduced in this paper. *つくば事業部 第一技術部 1.まえがき 日本の大型基幹ロケットであるH3 ロケットは現在運用中のH–IIA ロケットの後継機として開発され、2021年度中の初号機打ち上げを目指している。当社は、搭載品である誘導ソフトウェアの開発を、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構から委託され実施した。2014 年11 月から始まったH3 ロケット誘導ソフトウェアの開発は2021 年7月に開発完了を迎えた。昨今の宇宙輸送は、SpaceX を代表とする民間企業の活躍が顕著であり、打ち上げコストが圧倒的に低く、世界の主要ロケットが軒並み価格を下げなければいけない状況にある。日本の基幹ロケットも国際競争力を上げるための開発が必要であった。このような背景により、H3 ロケットは、H–IIA ロケットと同等の信頼性を維持しつつ、打ち上げコストの大幅低減、受注から打ち上げまでの期間短縮を目指して開発された。つまりH3 ロケットは開発段階から、運用期間、運用コストに対して要求がある開発であった。H–IIA までの誘導ソフトウェアの開発プロセスでは、開発結果や試験機の飛行実証結果をふまえ運用手順等を確立していったが、H3 ロケットは開発初期から運用方法を明確にイメージした開発であった。実際は、開発結果に基づき運用手順、評価方法等も変わってくるため、開発と並行して運用手順を確立することは困難だが、当社ではH–IIA ロケットまでの開発・運用で培った技術や蓄積した知見により、当初設定された運用コンセプトを実現するための誘導ソフトウェア及び運用環境の開発を完了することができた。本誌ではその内容を紹介する。2.H3 ロケット誘導ソフトウェア開発の概要H3 ロケットのシステム構成及び開発体制を図1に示す。当社は、H3 ロケットの搭載品である誘導ソフトウェア(GNS:Guidance and Navigation Software)と、運用時に使用する誘導定数自動設定ツール(GCAT:Guidance Constants Auto–configuration Tool)を開発した。2 MSS 技報・Vol.32誘導ソフトウェアはロケット機体第2段の計算機上に搭載されるソフトウェアである。H3 ロケットは、1段メインエンジンの基数、固体ロケットブースタ(SRB–3:Solid Rocket Booster–3)の本数により、30 形態、22 形態、24 形態がある(図2参照)が、誘導ソフトウェアはこれら全機体形態に共通のソフトウェアである。3.H3 ロケット誘導ソフトウェア(GNS)の概要誘導の目的は、飛行中に発生する各種誤差の下でも、ペイロードを所定の目標軌道に要求の精度内で投入することである。このため誘導ソフトウェアは、機体に取り付けられたセンサからの入力を基に、現在の航法情報(位置、速度、姿勢)を計算し、エンジンカットオフ時刻、要求推力方向プロファイルを計算する。要求推力方向プロファイルから要求姿勢を求め、これを実現するための誘導コマンドを計算し、エンジンカットオフ時刻とともに出力する。これらの情報は飛行制御ソフトウェアによりエンジン停止指令や舵角コマンドとなり機体に送られる(図3参照)。エンジンカットオフ時刻、要求推力方向プロファイルの計算にはステアリング則を用いる。ロケットのステアリング則には様々な方式があるが、H3 ではH–IIA と同様の「一定角速度回転ステアリング則」を適用した。H3開発初期には、よりロバスト性、最適性が高いステアリング則についても検討したが、運用性の面等から実績のあるH–IIA と同じステアリング則を選択した。H3 の誘導ソフトウェアは、H–IIA の誘導ロジック⑶⑷をベースに、H3 システムに合わせた機能追加、運用性を考慮した機能改善を行った。主な変更点としては以下である。(1) 推力変動区間への対応H–IIA は推力一定/比推力一定の区間で誘導計算を実施することが前提となっているが、H3 ロケットではスロットリングや推力立ち上がり区間に対応するため、推力が変動する区間でも誘導計算が可能となるロジックとした。(2) ターゲット計算方法の追加H–IIA では、目標軌道として真近点離角(位相)以外のケプラー5要素をターゲットとしている。燃焼時間が比較的長い場合は5要素を制御できるため問題ないが、燃焼時間が短い場合は制御対象を減らす必要が生じる。H3 では、短い燃焼時間でも目標とする軌道要素を精度よく制御するために、5要素から部分的に3要素、1要素を選択して制御対象とするモードを導入した。(3) 2段の極短秒時燃焼対応H3 ロケットでは衛星自身による静止化増速度(静止軌道へ投入するための速度増分)を小さくするために、2段エンジンを3回燃焼するミッションがある。2段エンジン3回目の燃焼時間は2回目までに比べると非常に短い。H–IIA の誘導は、そこまで短い燃焼区間への適用を想定していなかったため、このような場合には誘導計算の収束性が不十分になる、要求姿勢に追従できるようになるまでの時間が確保できない、といった課題があった。この極短秒時燃焼区間での課題を解決するために、図1 H3 ロケットのシステム構成及び開発体制⑴⑵図2 H3 ロケットの機体形態⑴飛行制御ソフトウェア航法機能誘導機能センサセンサ検知量位置・速度・姿勢誘導コマンドカットオフ時刻飛行制御ソフトウェアエンジン停止指令舵角コマンド誘導ソフトウェア(GNS)機体角度増分速度増分位置・速度・姿勢図3 誘導ソフトウェアの機能とインタフェース3 MSS 技報・Vol.32(1) による改善で誘導計算時間を確保し、目標とするターゲット計算方法に(2)を追加することで、極短秒時燃焼区間への誘導適用を可能とし、軌道投入精度を向上させた。(4) 姿勢の精度向上誘導計算では、要求推力方向を制御することで目標軌道への投入を可能とするが、飛行中の電波リンクを確保するため、機軸周りの姿勢も計画どおりに飛行する必要がある。H3 ロケットでは、特に推力方向の機軸方向に対するミスアライメント誤差に対して顕著であった機軸周りの姿勢誤差を解消できるロジックを追加した。4.誘導定数自動設定ツール(GCAT)の開発目的冒頭で述べたとおり、H3 ロケット開発の要求として、受注から打ち上げまでの期間短縮があった。打ち上げ前には、当該ミッション用の飛行経路を作成し、各種解析を実施してミッション要求への適合性を検証する。解析の一つである誘導解析ではミッションに適用する誘導定数を設定し、誘導付き飛行経路を作成し、その妥当性を確認する(5章で詳細を述べる)。誘導解析後には、誘導付き飛行経路を用いて様々な解析を実施するが、その結果ミッション要求を満たせない場合には、飛行経路を作成しなおす必要が生じ、解析期間が大幅に延びてしまう。H3ではこの手戻りを防ぎつつ、解析期間全体の短縮を実現するために、飛行経路作成と同時に誘導定数を自動設定することが運用コンセプトとして挙げられた。誘導定数の自動設定に用いられるツールがGCAT である。H–IIA では手作業で実施していたために2か月かかっていた誘導解析期間を、GCAT を用いることで1週間にまで短縮した(図4参照)⑸。5.誘導解析の目的搭載品である誘導ソフトウェアは、ミッションに依存しないプログラム部とミッションごとに設定が必要な定数部が存在する。誘導解析は、当該ミッションで目標となる軌道要素や機体条件等を誘導定数として設定し、誤差シミュレーションを実施して、設定定数が妥当でミッションに適用可能であるかを検証する作業である。誘導解析では、まず当該ミッションの計画飛行経路(「無誘導飛行経路」と呼ぶ)の飛行シーケンスや飛行プロファイルから、どのタイミングで誘導計算を実施するか等の「誘導シーケンス」を決定する。次に、誘導シーケンスを実現するように誘導定数を設定し、誘導付きの飛行経路(「誘導付きノミナル飛行経路」と呼ぶ)を作成する。さらに、誤差シミュレーションにより軌道投入精度が要求を満たすこと、3σのばらつきの中でも意図したとおりに飛行すること、負荷を上げた場合でも正常に動作すること等を確認し、ミッションへの適用可能性を判断する(図5参照)。このように適用可能性は誘導付きノミナル飛行経路だけでは判断できないことがあるため、誤差シミュレーションによる評価は非常に重要である。飛行経路作成誘導解析各種解析等無誘導飛行経路誘導付き飛行経路約2ヶ月約5.5ヶ月解析期間が長い飛行経路作成誘導定数設定誤差解析(新)飛行経路作成誘導定数の妥当性確認3週間1週間1ヶ月解析期間短縮H-IIAH3GCAT適用ミッション要求を満たさない時に大きな手戻りミッション要求への適合性を誘導付きで早期に確認図4 GCAT による解析期間の短縮飛行プロファイル計画飛行経路=無誘導飛行経路時間1段カットオフ2段1回目カットオフ2段2回目カットオフ衛星投入飛行プロファイル誘導付きノミナル飛行経路(無誘導飛行経路とほぼ同じ)時間1段カットオフ2段1回目カットオフ2段2回目カットオフ衛星投入誘導区間飛行プロファイル誤差存在下での飛行シミュレーション時間投入精度の確認無誘導飛行経路誘導シーケンスの設定/誘導付きノミナル飛行経路の作成誤差シミュレーションでの評価図5 誘導解析作業4 MSS 技報・Vol.326.誘導定数自動設定ツール(GCAT)の開発一般に、ロケットは太陽同期軌道(SSO)、静止トランスファ軌道(GTO)への打ち上げが多数を占める。GCAT は、SSO、GTO 経路の無誘導飛行経路を入力として、ミッションごとの誘導定数設定、当該定数の妥当性確認を自動で行うツールである。図6に、搭載ソフトウェアであるGNS と、地上でのGCAT による誘導定数設定の関係を示す。5章で述べたとおり、誘導定数の設定には「誘導シーケンス」の設定が必要であり、飛行シーケンスや飛行プロファイルが入力となっている。しかし、ミッションがSSO、GTO であるというだけでは飛行シーケンスや飛行プロファイルは確定できない。このギャップを埋めるために、SSO、GTO 経路を実現する飛行プロファイルや飛行シーケンスに制約を設定し、「シーケンス条件」として定義した。GCAT はこの「シーケンス条件」に対して誘導定数の自動設定が可能なツールとして開発することにした(図7参照)。「シーケンス条件」の内容は表1のとおりである。表1のようにシーケンス条件を設定することで、誘導定数の自動設定は可能になるが、設定した誘導定数の妥当性確認方法について課題が残った。5章でも述べたとおり、誘導解析では誤差印加状態でシミュレーションを実施することで妥当性を確認しているが、GCAT では誤差シミュレーションまでは想定していない。このため開発時の検証において、設定したシーケンス条件の範囲を、3σ誤差を複合した条件で網羅的に検証することで、適応可能であることを確認することにした。GCAT が適用されるミッションはSSO、GTO 経路の2種類のみだが、H3 ロケットの機体形態は、24 形態、22形態、30 形態があり(図2参照)、各形態で飛行シーケンスが異なることから、シーケンス条件の設定内容は初期の想定よりもかなり多くなった。さらに、シーケンス条件の時間間隔を決める際には、誤差評価まで実施しないと実現可否が判断できないため、GTO、SSO 経路を実現できる飛行シーケンスと誘導側で対応できる誘導シーケンスの模索に試行錯誤を繰り返した。最終的に、全シーケンス条件を網羅するように設定した飛行経路はSSO、GTO 経路合わせて22 本となった。22 本の経路に対してそれぞれ3σ誤差ケース(約170ケース)、耐性確認ケース(8~16ケース)のシミュレーションを実施し、シミュレーションの妥当性、誘導挙動の妥当性、ミッション要求への適合性を確認した。プログラム部定数部無誘導飛 GCAT行経路誘導付き飛行経路誘導付き飛行経路の妥当性確認結果入力地上 出力ロケット搭載ソフトウェア定数のロード(設定値の書き換え)ミッション依存(飛行経路等による)の定数が含まれる後続解析開発完了時にFix誘導ソフトウェア(GNS)誘導定数ファイル等搭載ソフトウェア製作図6 GNS とGCAT の関係表1 シーケンス条件の内容項目内容イベントシーケンスの順序フェアリング分離、スロットリング、エンジンカットオフ等の発生順序イベント間の時間間隔上のイベントの間の時間間隔の最短、最長等燃焼パターンアイドルモード燃焼、定常燃焼プログラムレート誘導計算を実施するタイミングでのプログラムレート切り替えタイミングや印加する時間間隔<一般/共通ミッション>ペイロード質量:xx~xx [kg]■SSO軌道長半径:XX~XX [km]離心率:XX~XX [ND]軌道傾斜角:XX~XX [deg]■GTO遠地点高度:XX~XX [km]・・・<シーケンス条件>・イベントシーケンスの順序・イベント間の時間間隔・燃焼パターン等GCAT適用可ミッション情報から直接の適用は不可図7 ミッション要求軌道へのGCAT 適用方法5 MSS 技報・Vol.327.むすび試験機1号機に向けて、解析等の作業が進んでいる。GCAT は試験機1号機には適用しないが、以降のミッションへの適用も開始されようとしている。本誌で述べたとおり、H3 ロケットでは開発初期から運用プロセスを意識した開発が行われてきたが、開発時に設定された各種条件やH–IIA での知見を踏まえたものである。試験機1号機、2号機での飛行結果に対する評価を確実に実施し、開発時の運用前提からの乖離がないかを確認し、乖離がある場合には開発時の評価結果への影響有無を評価する予定である。特にGCAT については、検証時の前提や想定と異なることや、新規に考慮すべき要素も発生すると考えられる。運用初期には、解析条件等を見直すことでGCAT の評価を行い、必要に応じて条件や前提を再度明確化していく。H3 ロケットの定常運用段階では、開発初期に設定した運用コンセプトを実現できると確信している。H3 ロケットの開発が始まった2014 年から現在までにも、衛星市場は変化しており、今後ロケットに求められる投入軌道も変わってくることが想定される。開発時に設定したシーケンス条件だけでは、新たな要求に対応できなくなることも考えられる。今後も、H3 のミッション適用性拡大や国際競争力向上のために、GCAT やGNSの改修によりミッション適用範囲を拡大し、H3 ロケットの国際競争力向上に貢献したい。最後に、H3 ロケット誘導ソフトウェアの開発に際し、多大なご指導をいただいた宇宙航空研究開発機構、及びプライムコントラクタの三菱重工業株式会社の関係各位に深く感謝する。参考文献(1) 宇宙航空研究開発機構 宇宙輸送技術部門:打ち上げ能力│ H3 ロケットhttps://www.rocket.jaxa.jp/rocket/h3/ability.html(2) 岡田 匡史:2020 年:H3 ロケットの目指す姿,宇宙航空研究開発機構(2015)https://fanfun.jaxa.jp/jaxatv/files/jaxatv_20150708_h3.pdf(3) 鈴木 秀人,麥谷 高志:H–IIA ロケットの航法・誘導・制御系,日本航空宇宙学会誌,51,No.598,282~ 289(2003)(4) 池田 佳起,林 健太郎:H ロケット誘導方式の変遷,MSS 技報,20(2009)https://www.mss.co.jp/technology/report/pdf/20-01.pdf(5) 小林 泰明,松本 秀一,嶋根 愛理,林 健太郎,服部和恵,望月 崇光:新型基幹ロケット誘導ソフトウェアの誘導定数自動設定構想,第59回宇宙科学技術連合講演会講演集,2A06,日本航空宇宙学会(2015)執筆者紹介服部 和恵1998 年入社。つくば事業部へ配属。入社後はH–IIA の開発、運用業務に携わる。以後、飛行シミュレータ、基幹ロケットの開発、運用に携わり、2014 年からはH3 ロケット開発に従事。