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技術レポート:アーカイブ
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MSS技報VOL.19巻頭言
巻頭言 常務取締役 技術推進部長 小野 修一 名画鑑賞とプログラミング― 雲は掴めるのか? ―今から30年ほど昔の話になるが、私がまだ駆け出しのエンジニアであった頃に、ある先輩から聞かされた話を最近になって思い出した。時代状況が違うので、先ず舞台説明をさせていただく。当時我々は汎用計算機の中核部分であるソフトウェアの開発を担当していたが、自力開発の一方で、外国のソフトウェアを導入したり、参考にしたりしていた。使っていたのはアセンブラ言語であり、その後の分類では手続き型の言語である。プログラムはパンチカードを使って計算機に入力され、ラインプリンタと呼ばれる印刷機で連続紙に打ち出されたリスティングになり読める形になっていた。その先輩は周囲から一目置かれたソフトウェア開発のスペシャリストで、中核部分を一人で背負って立っているような我々の憧れの存在だった。この方は、いつも分厚いリスティングを抱え、恐ろしいスピードでそれを読み、内容を正確に把握していた。恐らく、私などの読む10倍以上の速さと、それ以上の格段の正確さで理解する様は正に神業と思えた。この先輩にあるとき恐る恐る「どうしてそんなに早く読めるのか」と聞いたところ、曰く「名画鑑賞と一緒だ。良いプログラムは幾ら見ても飽きない。そういう良いプログラムを何時も見ていることが大切だ」と言う答えだった。その後、私も意識して良いプログラムを読むことを心がけ、先輩の言われたことが徐々に分かって来たように感じ、勿論先輩ほどの技は身に付かなかったが、後輩にもその‘教え’を伝授して回った。何故、こんなことを思い出したかというと、果たしてオブジェクト指向プログラミング時代のカリスマ・プログラマはどの様にしてカリスマになり得るのだろうか、これら達人は何を手本にしているのかという疑問がふと生じたからである。見方を変えるとアーキテクチャと呼ぶに相応しい荘厳な骨組みの中に、精緻な論理が凝縮していた「我が世代の美しいプログラム」と、多くのブラックボックスを自在に操り、それを巧妙に繋ぐことで分かりやすいユーザ・インターフェイスを紡ぎだす「現代流のプログラムの美しさ」の違いは何かと言う疑問でもある。この点に関して何人かと議論して見たが、必ずしも納得できる答えに行き着いていない。ただ、良いプログラムを読むことは今でも重要だという反応が多かったし、「能力の高い人は物事を抽象化して捉えることが上手で、ブラックボックスを自在に使いこなしており本質は今も昔も変わらない」という説もなるほどと頷けるものであった。さてこう考えてきたときに、次に疑問として持ち上がったのが「プログラム美観の変化は果たして日本人にとってチャンスなのか、危機なのか」という点である。この疑問も冒頭に登場願った先輩の「残念だが外国人(本人は別な表現を使っていた)が組み上げるアーキテクチャは凄い、民族差かもしれない」という呟きに結びついている。敢えて暴論の謗りを恐れずに結論を急ぐなら、現代のプログラムが如何に見せるか、使わせるかということに、より力点を置いているということもあり、第二の疑問への私なりの答えは‘日本人にチャンス到来’である。壮大な構築物は不得手でも、木目の細かい仕上げを得意とする日本人がアニメやゲームで成功しているのはその良い証左と思うが如何だろうか。雲は掴めるところにある。諸賢のご意見を待ちたいところである。昨年上梓された小説「雲を掴め」は1982年のIBM産業スパイ事件を題材にしているが、その当時の状況と今とを比べると感慨無量なものがある。今年度のMSS技報をお届けすることになったが、掲載させていただいた論文は日本人らしい丁寧な仕事ぶりを窺わせる内容になっている。防衛や宇宙と言った分野で高い品質と、信頼性を追及しているMSSという集団のDNAが正にここに現れていると見るのは手前味噌だろうか。ご一読の上、忌憚のないご意見、ご批判を賜ればと考えます。