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2023年度 三菱電機ソフトウエア技術レポート

多段中継における信号品質の検討と検証

【執筆者】

電子システム事業統括部 通信機事業所 ハードウエア技術部
土谷 和之

【概要】

列車無線システムなどでは、安定した高品質の無線通信回線を実現するため、沿線に敷設したLCX(漏洩同軸ケーブル)と車上アンテナ間で電波を伝送するLCX方式が採用されている。LCXで生じる伝搬損失を補うため、中継機をLCX間に配置し信号を増幅しながら無線信号を伝送するが、中継段数が多くなると、中継機で生じる雑音や歪が通信品質に悪影響を及ぼす。今回、中継機で生じる歪についての検討と検証を行ったのでその内容を報告する。中継機のモデル化、シミュレーション内容、実機検証結果などについて述べる。

1. まえがき

図1:システムの概略構成

図 1:システムの概略構成

図2:多段中継の信号品質

図 2:多段中継の信号品質

列車無線システムなどでは、安定した高品質な無線通信回線を実現するため、沿線に敷設したLCX(漏洩同軸ケーブル)と車上アンテナ間で電波を伝送するLCX方式が採用されている。長距離で通信を行うには、LCXで生じる伝搬損失を補うためLCX間に中継機を配置し、信号を増幅しながら無線信号を伝送する構成が用いられている。システムの概略構成を図 1に記す。

中継機は信号を増幅する増幅器であり、無線信号は中継機を通過するごとに雑音や信号歪みなどの影響を受ける。各段の中継機の雑音や信号歪みはわずかなものであるが、中継段数が多くなると、その雑音や歪みは無視できないほど大きなものとなり信号品質に悪影響を及ぼす。図 2に多段中継の信号品質のイメージを記す。

中継機で生じる雑音が多段中継に及ぼす影響は,高周波回路などの雑音設計の考え方を利用することで求められることが分かっている。一方で,中継機で生じる歪みが多段中継へ及ぼす影響については,その検討方法が確立されておらず,システム設計の1つの課題であった。

今回、高周波回路技術と信号処理技術を用いて、多段中継で生じる信号歪みの計算方法を提案し、評価機を用いた実機検証にてその妥当性を確認したので、結果を本稿に報告する。

2章では歪みの発生メカニズムから、信号品質を表す信号対歪み比(Signal-to-distortion ratio(以下、SDR))、増幅器の歪み特性など信号歪みに関する内容を、3章では多段中継の入出力特性の導出から出力信号の生成、SDRの計算など信号歪みの計算方法を提案、4章では多段中継の計算値と実測値との比較結果を記す。

2. 信号歪みについて

信号歪みの発生メカニズム、増幅器の歪み特性、変調精度とSDRの関係について記す。

(1) 信号歪みの発生メカニズムとSDR

図3:多段中継の信号品質

図 3:増幅器の入出力特性

図4:信号歪みの発生

図 4:信号歪みの発生

増幅器は、ある一定の増幅率で入力信号を増幅する線形特性が理想であるが、現実には出力できる信号レベルに限界があり、入力と出力の関係に非線形な特性を有している。この非線形特性により信号に歪みが生じ、伝送したい信号からの誤差が生じる。図 3に増幅器の入出力特性を、図 4に増幅器の入出力特性から生じる信号歪みの様子を記す。

図 4に記すように、信号歪みにより理想信号からの誤差が生じ、信号品質に劣化が生じる。ここで、出力信号をSREAL、理想信号をSIDEAL、歪み成分をSDISTとするとそれらの関係は式(1)のとおりとなる。

信号品質を表す指標SDRは、理想信号の電力PIDEALと歪み信号の電力PDISTの比を対数化した式(2)で求められる。

(2) 増幅器の歪み特性

図5:基本波と3次歪みの周波数成分

図 5:基本波と3次歪みの周波数成分

図6:基本波と3次歪みの入出力特性

図 6:基本波と3次歪みの入出力特性

増幅器の入力信号をx、出力信号をyとするとその入出力特性は式(3)の多項式で近似することができる。

式(3)に式(4)の異なる周波数の2波(基本波)を入力する。

このときの出力は式(5)のとおりとなる。

式(5)の2ω12と2ω21に現れる信号は3次相互変調歪み(以下、3次歪み)と呼ばれ、図 5のように基本波の近傍に生じる増幅器の代表的な歪みである。

基本波は入力信号に対して対数で傾き1、3次歪みは傾き3となり、その入出力特性は図 6のようになる。

図 6の基本波と3次歪みを延長した交点を3次インターセプトポイント(IP3)といい、増幅器の歪み性能を表す指標として用いられている。

(3) 変調精度

図7:EVM

図 7:EVM

信号品質を表す指標として、変調精度(Error Vector Magnitude(以下、EVM))が用いられている。EVMとは、変調信号の理想シンボル点(注1)からの誤差を表しており、変調信号の特性を評価する指標である。図 7に理想のシンボルIと測定されたシンボルM、誤差eの関係を表す。

    (注1) シンボル点とは、1回の変調で生成される信号の位置を表す。

EVMは誤差eの実効値であり、理想信号の平均電力の平方根との比がパーセント又は対数値として表現される。式(6)に計算式を記す。

ここで、誤差eを信号の歪みと考えるとSDRとEVMの関係は式(7)で表せる。なお、SDRは対象が全信号であるのに対してEVMはシンボル点のみの評価値であるため、式(7)では≒で関係付けしている。

図8:EVMとSDR計算結果

図 8:EVMとSDR計算結果

図 8にQPSK(Quadrature Phase Shift Keying)変調時のEVMとSDRの計算結果を記す。なお、式(7)に示す様にEVMは符号を反転させている。

図 8から、式(7)が成り立っていることが確認できる。式(7)を用いることにより、測定することが難しい信号歪みのレベルをEVM測定値から間接的に求めることが可能となる。

3.信号歪みの計算方法

今回提案するSDRの計算方法を記す。計算の手順としては、

・「多段中継に入力する信号」と「多段中継の入出力特性」から出力信号を生成
・出力信号からSDRを計算

である。詳細を以下に記す。

(1) 入力信号の生成

図9:入力信号の生成

図 9:入力信号の生成

π/4シフトQPSKや256QAM(Quadrature Amplitude Modulation)など計算に使用する入力信号を生成する。

入力信号の生成方法を図 9に記す。

(2) 多段中継の入出力特性

図10:多段中継入出力特性

図 10:多段中継入出力特性

影響度の高い3次歪みに着目して増幅器の入出力特性を式(8)で表す。a_1、a_3には増幅器のゲインとIP3から求めた値を用いる。ゲインとIP3は、使用する増幅器のデータシートに記載されている値を使用する。

多段中継化として、1段目の出力信号をさらに式(8)へ入力することにより2段目出力を求め、さらに3段目・・と繰り返し、必要とする段数分の入出力特性を求める。図 10にゲインが50dB、出力IP3が48dBmである増幅器の入出力特性計算結果を記す。なお、多段中継時は各段間に50dBの減衰器を設けたモデルとしている。

図 10から、1段の飽和電力が40dBm程度、25段の飽和電力が30dBm程度になっていることが分かる。

(3) 多段中継出力信号の生成

図11:多段中継入出力信号

図 11:多段中継入出力信号

多段中継の入出力特性をテーブル化し、入力信号レベルに応じて多段中継のゲインを変えることにより出力信号を生成する。図 11に多段中継入出力信号の計算例(スペクトラム)を記す。

図 11から、非線形特性による3次歪みが基本波の近傍に生じていることが分かる。

図12:SDRの計算方法

図 12:SDRの計算方法

(4) SDRの計算

式(1)から、多段中継の出力信号から理想信号(入力信号に定数を掛けた信号)を差し引くことにより歪みレベルを求め、理想信号レベルとの比からSDRを計算する。ここで、多段中継の非線形特性により、出力信号のレベルが変化すると、出力信号に含まれる理想信号のレベルも変化するため、計算上、歪みレベルが最小となるよう理想信号レベルを最適化する操作を行っている。図 12にSDR計算方法を記す。

4.信号歪みの計算と実測結果

評価機を用いた実測値と、同条件での計算値を比較する。

(1) 3次歪み特性

図13:3次歪み特性

図 13:3次歪み特性

無変調の異なる周波数の2波を入力したときの3次歪みの計算値と実測値を図 13に記す。

図 13では、計算値と実測値がよく一致している。3次歪みの傾きは図 6と同じく基本波に対して2倍になっており、一致した特性である。

多段中継の歪みレベルと1段の歪みレベルとの間には、多段数をnとすると式(9)の関係になっている。

(2) 1波変調特性

π/4シフトQPSK変調の1波を多段中継へ入力したときのSDR計算値と実測値(EVMから計算)を図 14に、-15dBm入力時のスペクトラムを図 15に記す。

図 14、図 15では、計算値と実測値がよく一致している。入力レベルに対する傾きは、図 8に示す傾きより小さく、基本波に対して1.5倍になっている。これは、出力レベルが高く、信号が抑圧されていることが原因である。

図14:1波変調特性

図 14:1波変調特性

図15:1波変調時のスペクトラム

図 15:1波変調時のスペクトラム

(3) 2波変調特性

π/4シフトQPSK変調の同レベル2波を多段中継へ入力したときのSDR計算値と実測値(EVMから計算)を図 16に、-25dBm入力時のスペクトラムを図 17に記す。

図 16、図 17では、計算値と実測値がよく一致している。入力レベルに対する傾きは、図 8と同じく基本波に対して2倍になっている。

図16:2波変調特性

図 16:2波変調特性

図17:2波変調時のスペクトラム

図 17:2波変調時のスペクトラム

(4) 8波変調特性

π/4シフトQPSK変調と256QAM変調の8波(それぞれ-39dBm)を多段中継へ入力したときのSDR計算値と実測値を図 18に、そのときのスペクトラムを図 19に記す。

図 18、図 19では、計算値と実測値がよく一致している。周波数配置による影響もうまく計算できていると推定される。

図18:8波変調特性

図 18:8波変調特性

図19:8波変調時のスペクトラム

図 19:8波変調時のスペクトラム

5.むすび

これまで確立されていなかった歪み特性についての計算方法を提案し、計算値と実測値がよく一致する結果が得られ、その妥当性が確認できた。この方法を活用することにより、今後の開発におけるシステム設計の最適化、設計のフロントローディング化などが可能となり、システム及び製品開発の高品質、高効率化につながるものである。

今後、システム設計のさらに上流をターゲットとして、MBD(Model Based Development)の導入など、高度で複雑な計算を高速に実行する手法を取り入れ、通信品質の向上などの技術開発に取り組む所存である。

筆者紹介

  • ■ 土谷 和之(ツチヤ カズユキ)

    1993年入社。主に通信機器のハードウエア開発に従事。現在、電子システム事業統括部通信機事業所ハードウエア技術部